見えた! 新潟三越、旧北光社再開発の実像
2020年02月27日
3月22日、新潟三越は閉店する。その後、旧新潟大和跡地の再開発ビル、「新潟ルフル」が開業を迎え、5月7日には、このビルの3階から6階へ新潟市役所の本庁部署の一部が移転し、「ふるまち庁舎」としてオープンする。動き出す古町地区では旧北光社や、懸案となっている新潟三越の再開発について、その実像が見え始めてきた。
北光社、3月にも取り壊しか
「北光社」と言っても、近頃の若い年齢層にとっては「何ですか、それ?」という存在らしい。新潟市やその近郊にお住まいで、一定の年齢以上の方々
にとっては馴染みの響きで、ちょっとばかり甘酸っぱい記憶がよみがえる人も多いのでは。
北光社と萬松堂はともに江戸時代の創業で、旧新潟市を代表する老舗の書店だった。北光社は旧水原町(現在の阿賀野市)にルーツがあって、明治時代に新潟に移り、屋号を「北国に文化の光をともす」という意味の「北光社」としたのだという。
一方の萬松堂だが、北光社のルーツ、旧水原町にも「万松堂書店」があったし、新発田にも同名の書店がある。思想家でアナキストとして知られる大杉栄は、明治の前半期、4歳から14歳までを新発田で過ごした。大杉の『自叙伝』に、「水原の中村万松堂という本屋の小僧だか番頭だかが、新発田で店を出した」という記述がある。
これは水原と新発田の万松堂のことらしい。ひょっとして新潟の「萬松堂」も北光社と同様、ルーツは水原かもしれないが、水原の万松堂は既にないので実際のところは判然としない。
話を現代に戻すと、旧北光社と萬松堂はともに新潟市の繁華街、古町通六番町にある。前者は古町通と柾谷小路が交わる古町十字路の角。携帯やSNSがない時代、北光社前は格好の待ち合わせスポットで、特に古町通側の壁面にあった「本を捧げるビーナス像」のレリーフ付近が多く利用された。
古町にあった北光社が惜しまれつつ190年の歴史にピリオドを打って閉店したのは平成22(2010)年。その後、一時期は物販スペースになったこともあるが、長続きはしなかった。閉店から10年が経過し、北光社が新潟を代表する書店だったこと、その書店が古町十字路にあったことを知らない世代が増えている。
北光社があった建物は4階建てで、昭和31(1956)年あたりの新築のようだ。建物、底地とも閉店の前年に代物弁済で東京都に本社を置く出版物取次会社の所有となっている。その後、北光社は破産手続きに入った。
この旧北光社ビルに再開発話が浮上している。「事業着手も間近だ」という。隣接地の商店主はこう言う。
「既に開発業者が旧北光社の周辺で挨拶回りをしています。県内ではメジャーの地元業者です。早ければ3月にも旧北光社の解体を始めるということでした」
旧北光社は賃貸マンションに
旧北光社の再開発は、過去に「隣接ビルと一体での計画として検討されたこともある」(ゼネコン関係者)という。「旧北光社の裏側にある建物を含んだ計画だとも聞いていますが、はっきりと図面を見たわけではありません。このあたりは旧北光社も含め、更新時期を迎えている建物が多いのです」(古町地区の商店主)
旧北光社の奥には昭和50(1975)年に新築された5階建てビルがある。所有者は東京都内の企業となっているが、新潟市内に本店を置く企業の関連会社らしい。
旧北光社のビルを解体した後に建設される建物の敷地面積や建築面積、延床面積など具体的な中身は不明だ。…続きは本誌に