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2024年11月21日

上越市議選 宮越馨元市長が断固出馬!

2020年01月27日

宮越馨元市長が上越の政界に帰って来そうだ。かつて衆院選に3回出馬、その後に市長を2期8年務め、県議の経験もある。昨年12月、既に同元市長は今年4月に予定される市議選に出馬を表明している。現在78歳。同元市長の奮闘で、上越の市政が覚醒されることを期待したい。

 

波乱万丈

 

上越市の宮越馨元市長だが、在任期間は平成5(1993)年から同13(2001)年までの2期8年(合併前の旧上越市時代)同元市長は4月26日に投開票が予定される同市の市議選に出馬を予定している。その意向は昨年10月末頃、一部に伝えられていた。市役所の記者クラブで会見し、正式に出馬を発表したのは昨年12月25日のこと。

 

「宮越元市長、市議選出馬」は、地元の上越市内では周知の事がらとなっている。市長職を離れ今年で19年。78歳の同元市長が市政に「再チャレンジ」することについて、周囲からは期待感もあれば非難めいた声もある。

 

宮越元市長だが、もともとは大蔵省(現在の財務省)の官僚だった。主計局で国の予算編成を担当していたこともある。その後国政に転じ、中選挙区時代の衆院4区から初出馬したのは昭和61(1986)年。次いで平成2(1990)年、同5(1993)年の総選挙に出馬したが、いずれも落選した。

 

舵を大きく切り、「地方からの国づくり」を掲げて市長選に初当選したのが平成5年。評価は様々あるが、同元市長は在任中に強力なリーダーシップを発揮した。平成8(1996)年7月、北陸新幹線の「全線フル規格、早期実現」を訴えた「1万人集会」では、北陸や長野からの参加者も含め、1万3千人が上越に結集した。主催団体のトップを務めたのは宮越元市長だった。

 

北陸新幹線長野・上越間の起工式が行われた平成10(1998)年、上越市は全国の都市で初めて「ISO14001」の認証を取得。同年に「地球環境都市」を
宣言した。翌年の平成11(1999)年には副市長制を核とする行政改革を実施。日経新聞などが行った改革度調査では、総合で全国1位を獲得した。

 

強いリーダーシップは当然ながら反発も招いた。平成13(2001)の市長選で敗れ、4年後もチャレンジしたが返り咲くことなし。県議に転身し、1期目の途中で知事選に出馬したが敗北。平成22(2010)年の参院選に「みんなの党」の比例代表候補となったが、当選は果たせず。

 

ここまでの経歴でも十分に波乱万丈だが、さらに宮越元市長は春の市議選に挑むという。

 

危機感欠如の政治に怒り

 

新発田市や柏崎市などのように、市議が市長になることは珍しくない。元市長が市議になっている例では、上越市の隣、糸魚川市の吉岡静夫市議が市長経験者だ。だが宮越馨元市長とはどこかイメージが違っている。同元市長と似た、いわば〝変わり種〟も探せば見つかるもので、岡山市に類例がある。

 

熊代昭彦岡山市議は東大法卒の元厚生官僚で、衆院議員として当選4回の経歴を持つ。紆余曲折あって現在は市議を務め3期目だ。同市の市長選に何度か出馬したが果たせず、一時は公選法違反で有罪が確定し、公民権停止で市議を失職したことも。年齢は79歳で、宮越市長の1歳上。市議会では一人会派で活動しているという。

 

それはともかく、宮越元市長をして市議選に駆り立てたものは何だったのか?

 

「ここ10数年間で日本社会が激変した。その激変が私の政治に向ける意欲を高めたということです」(宮越市長)

 

では「激変」の中身は何なのか?「高齢化社会の中で、老後の不安がますます増して来ている。そして人口減少、さらに農山村が崩壊の危機に瀕している。雪崩を打つように崩壊する社会に対し、政治がどう立ち向かうのかを突き付けられているわけです。それなのに日本の政治、行政の悪いところで、小出しの対処療法に明け暮れている。根本的にどうするかを考えないと、日本社会が崩壊してしまう」(同)…続きは本誌に

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