閉館した映劇大要 昭和~令和「エロとタブーの変遷」
2019年09月27日
新潟市中央区古町通12番町の成人映画館「映劇大要」が8月22日に閉館した。開館は昭和37年で、昭和40~50年代の全盛期には数多くのピンク映画ファンを連日動員。ところが平成に入ると、アダルトビデオの普及や娯楽の多様化などを背景に客足がめっきり減り、市内にある他の成人映画館が相次いで閉館。しかしそんな逆風下でも、映劇大要はその後も四半世紀近くにもわたって営業を続けていたのだが…。
小中学校の通学路にピンク映画のポスター
映劇大要の前身は大正8年開館の「丸山館」で、戦前に「船江館」「富士館」「銀線館」など、何度も改称した経緯があるとされる。富士館時代には嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」シリーズなどを上映した。
戦後は「サン劇場」に改称し封切館として営業し、昭和37年5月に改装して「映劇大要」を開館。当初は大映作品や洋画を上映したが、昭和39年に成人映画館となった。
確たる資料はないが、映劇大要が成人映画館として看板を掲げた昭和39年当時、新潟市内ではすでに新潟日活をはじめ、春日劇場、沼垂日劇などが成人映画を上映していたとされる。
新潟市内で育ったという50代のサラリーマンが自身の幼少期を振り返る。
「私が小学生だった当時の成人向け映画館といったら、それは凄まじいものでした。女性が半裸になったエロいポスターを通りがかりの人たちに見えるように、そこら中に貼っていましたからね。
今では考えられないことですが、春日劇場なんて小中学校の通学路にもかかわらず〝団地妻昼下がりの情事〟などと書かれた艶っぽい表情をした女性のエッチなポスターがベタベタ貼られているのですから、嫌でも子供たちの目に飛び込んできますよ。
今なら完全にアウトですが、あの当時はPTAが取り立てて問題視することもありませんでした。社会全体が性に対して今よりも格段に大らかだったといえるのかもしれませんね」(53歳会社員)
一方で、かつて成人映画館のいかがわしいポスターや看板がことさら問題視されなかったのは、「当時のテレビ番組の内容とも関係があるのではないか」との指摘もある。
「今のテレビはドラマでもバラエティーでも女性の裸が出てくるシーンがいっさいありませんが、昔のテレビは女性の裸やラブシーンのオンパレードでした。
エッチな深夜番組の代表格は大橋巨泉のイレブンPMや山本晋也監督のトゥナイト。昭和59年放送スタートの所ジョージが司会の『TV海賊チャンネル』では、セクシー女優が半裸で登場するVTRを流すコーナーがありましたが、その名も〝ティッシュタイム〟でしたからね。
当時は成人映画館に貼られているエッチなポスターよりもテレビ番組のほうがよほどエゲツなかったですから、地元住民もさほど問題視しなかったのでしょうね」 (60歳飲食店主)
昔のテレビ番組といえば、ほかにも土曜ワイド劇場での温泉の裸シーンやラブシーンが付きものだったし、芸能人の水泳大会でも水着姿の女性タレントの胸ポロリのハプニング(?)がお決まりだった。昔のテレビは女性の裸だらけだったのだ。
電話で流れる録音テープの声の主は女性従業員!?
テレビ番組のエッチ度だけをとっても昔と今とでは隔世の感があるが、本題の成人映画館「映劇大要」も昔と今とでは社会に対する露出度合いがまったく違っていたという。
かつて同館に通い詰めたという60代のサラリーマンが懐かしそうに話す。…続きは本誌に