平成の新潟県政治史を振り返る
2019年03月27日
平成の終わりまであと1ヵ月。「平成最後の〇〇」など祝賀的なムードが漂っているが、「失われた30年」など肯定的な評価が少ないのもまた事実。前三代の県政を「失われた四半世紀」と評する向きもある。新潟県が生んだ稀代の宰相・田中角栄が亡くなったのも平成だった。新潟県にとって平成とは何だったのか。平成の政治史を振り返ってみる。
世は激変、新潟は停滞?
平成最初の政治的な出来事で思い出すことは何だろう。同世代の友人に聞いた中で多かったのは「消費税導入」だった。平成元年4月1日、3%からスタートした。「当時は高校生。それまで税金の意識はまるでなかった。それまでほとんど使ったことがない1円玉を持ったり出したりしたとき、税金が取られているって意識できた」(青果店社長)
「50円のものを1つ買うと51円請求されたのに、2つ買うと100円だからと103円請求された。店の人に『オカシイだろ』と文句言ったことを覚えている」(銀行員)
国内はバブル景気真っ只中。世界は冷戦が終結。そんな中で平成は始まった。政治に限定せず30年をザックリと振り返ってみたい。
パソコンが家庭に入り込み、携帯電話が徐々に普及。今ではスマホがあれば何でもできるようになった。機械はどんどんと小型化・省力化され、あらゆるモノが劇的な進化を遂げた。
阪神・淡路大震災、東日本大震災などの大地震が頻発し、異常気象とも言える猛烈な豪雨も多発した。
自民党と社会党の「55年体制」が終わりをつげ、自民党は二度、下野した。
本県に目を転じる。田中角栄元首相が政界引退を表明(元年)。上越新幹線が東京駅に乗り入れ、関越自動車道が4車線化した(3年)。佐川急便事件が起きて現職の金子清知事が辞任(4年)。大冷害で米は戦後2番目の大不作(5年)。田中元首相死去(同)。県職員の旅費・食糧費不正支出事件では知事が県政史上初の減給処分に(8年)。越後証券、吉原組、新潟中央銀行と県内大手企業の破綻などが相次いだのはこの頃だった。
建設を断念した巻原発予定地売却は11年。シドニー五輪では中村真衣選手が銀メダルを獲得した(12年)。新潟でサッカー・ワールドカップが開催され(14年)、J2でアルビレックス新潟が優勝し、初のJ1昇格を決めた(15年)。
中越地震、7・13水害、蓮池薫さん夫妻・曽我ひとみさんらの帰国は16年。平成の大合併の本格化もこの年だった。中越沖地震と新潟市の政令市移行は19年。20年に県の人口が240万人を割り込み、現在の危機的な人口減・人口流出問題に発展した。
日本文理高校が夏の甲子園で準優勝(21年)。翌22年には新潟明訓高校がベスト8に進出した。東日本大震災、長野県北部地震、新潟・福島豪雨など23年は天災が相次いだ。
4選不出馬を“リセット”した篠田昭新潟市長は4選を果たし、泉田裕彦知事は地元紙との喧嘩を理由に知事選不出馬を表明…からの、まさかの国政進出。県政と政令市政のドタバタに県民、市民はため息をついた。
平野歩夢選手は冬季五輪2大会連続銀メダル獲得(26、30年)。選挙で落選が続いた米山隆一氏が知事選に悲願の初当選(28年)。しかし、1期を全うできずに女性
問題で辞職した(30年)。
「平成は、ITだ、AIだとモノやシステムが劇的に進化・発明された時代だった。世界との境界もなくなり、世の中が大きく変わったとしか言いようがない。一方で
新潟は、停滞の時代だったように思う。新幹線も空港も港も活用できなかった。特に新潟市はまちなかが廃れる一方。どんなまちにしたいのかが分からぬまま30年を
過ごしてしまった。とにかく停滞感しかない」 (新潟市の経営者)
停滞感は政治に責任があるのか。本県の平成の政治史を田口一博・新潟県立大学准教授とともに振り返る。
大合併の負の影響
平成の時代に起きた政治に関する大きな出来事をざっと挙げると、消費税導入、小選挙区制導入、平成の大合併、自民党下野などでしょう。その中で平成の大合併と小選挙区制の導入が大きなターニングポイントだったような気がします。…続きは本誌に