批判されっぱなしの「縦割り行政」を評価してみる
2019年01月26日
「縦割り」と言ったら、真っ先に「行政」が出てくる記者は職業病か? 批判めいて使われる言葉ではある。しかし実のところ、民間でも縦割りは存在している。無意識のうちに縦割りの合理性を享受もしているはず。行政の縦割りだけ責めるわけにはいかぬか⁉
縦割り=たらい回し
「縦割り」は、辞書にはこう書かれている。
〈その組織内での、同一部署の上下関係(だけで物事が動き、横の連絡が取られていないこと)〉(三省堂「新明解国語辞典」)
使用例として「縦割り行政」を意味する「─行政」とあった。
「縦割り行政」はどう解説されているか。
〈個々の行政事務の処理・遂行にあたり、各省庁間の横の連絡・調整がほとんどなく、それぞれが縦のつながりだけで行われている日本の行政のありかたをいう。そのため、類似した行政が別々の機関で行われ、手続きが二度手間になったり、行政機関同士の綱引きで行政事務が変更になったりする弊害が生まれている。(以下略)〉(コトバンク)〈個別の中央省庁が国から地方自治体にいたるまでをその管轄ごとに支配しているピラミッド型の行政システムのことである。 特に、不条理な役割分担や各省庁の過剰な管轄意識によって行政サービスが非効率に陥る「縦割り行政の弊害」を批判する論調で用いられる。〉(ウィキペディア)
どちらも「批判的意味合いが込められている」というように解説している。役場を利用する側の立場、つまり住民目線による批判と言っていい。
子供が生まれました。妻子が退院した後、子供と一緒に役所に行き、住民課で出生届を書いて出しました。別の部署に行くよう指示され、出産祝い金の受け取り申請書を書いて提出しました。また別の部署を案内され、乳幼児医療の申請書や各種調査票なども書いて提出しました。たくさんの部署を回り、そのたびに住所・氏名・電話番号など同じことを書かされ、本人確認もされ、しまいには子供がぐずりはじめ、終わる頃にはヘトヘトになりました…。
役所でたらい回しされ、二度手間、三度手間に泣いた経験はないだろうか。これぞまさしく「縦割り行政」の弊害と言っていい。いまでこそ機械化により、一回の書類記入・提出で事足りる手続きも増えてきた。かつては、お役所の都合に住民が合わせなければならなかった。
民間企業でも無意識のうちに「縦割り」を客に強いている。例えばコールセンター。最初は機械が応対する。「故障の場合は(ボタンの)1を、変更の場合は2を、解約の場合は3を、その他の場合は4を押してください」などと案内される。それ以外のことは受け付けませんというような態度は、まさに〝縦割り仕事〟である。
「それは営業の方の仕事なので分かりかねます」
「経理に聞いてからでないと返事できません」
などの応対も、横の連絡・調整をしようとしないという意味では「縦割り」と言えよう。
行政ばかりが批判される「縦割り」だが、民間にも溢れているのである。「縦割り」は、そこまで批判されなきゃならぬシステムなのか。合理的だから採用してきたシステムではないのか。田口一博・新潟県立大学准教授の〝講義〟を始める。
縦割り=高い専門性
工場のラインは分業制です。例えば溶接、塗装、研磨は別々の人、機械で行います。縦割りは一種の分業制です。分業するとその仕事ばかりやるので、専門性が高まります。溶接のプロ、塗装のプロ、研磨のプロなどですね。
行政は、その昔は一人ないしごく少数の人で仕事を担っていました。中世なら領主が領民の話を聞き、税や年貢を徴収し、もちろん領地を統治し、警察の役目も裁判官の役目も担っていた。分業せずに権力や仕事が一人に集中していたので、部下の〝行政力〟は素人同然でした。…続きは本誌に