回顧ドキュメント 田中元総理を取り巻いた人々
2016年06月27日
~東急グループ全盛期に“企業参謀”と畏怖された男の物語~
角栄の名著を全社員に配布
「1人の平凡な市民に過ぎない私の人生に、大きな指針を与えてくださった方を、もし恩人と呼べるなら、2人の方のお名前を挙げたいと思うとります。ひとりは田中角栄元総理、もうひとりは私を田中元総理に引き合わせてくださった前野徹東急エージェンシー社長であります。
前野さんとは同氏が東京新聞の記者をされとった時代に知り合いまして、その後、東京急行電鉄の秘書課長に転身され、昭和56年に東急エージェンシーの社長に就任されるまで、陰に陽に目をかけていただきました。
私にとって、第1級の恩人といえる田中元総理の思い出を語らせていただく前に、前野さんのことを、少しばかりお話しさせてください」。
こう話すのは、誠心会第4期生の原口捷三(83、広島県在住)である。そして、原口は痩せ細った体を小刻みに震わせながら、次のように話し出した。
「前野さんは若いころに新聞記者をされていただけあって鋭い感性をお持ちでしたよの。企業人としてはどちらかいうと硬派の方で、怖い存在でしたが、根はやさしゅうて、近くにおられるだけで、周りの空気がふんわりと和んでくるような温かい方でした。
松竹映画の“寅さんシリーズ”がとてもお好きで、全編をビデオに収録し、仕事のない休みの日は朝から見ておられたのを覚えております。主演の渥美清さんとも数十年来の親交をお持ちだったと聞いております。
私の祖父は田中元総理の古里に近い柏崎の北条村(現・柏崎市)生まれなので、田中家とまったく縁がないわけではなかったのですが、
私が運輸省(現・国土交通省)の役人になってから、初めて目白台のお屋敷に連れて行ってくださったのが前野さんでした。
田中先生は前野さんを“トオルさん”と名前で呼ばれ、ほかの企業人とはちょっと違うた接し方をされておられたように記憶しております。
前野さんは文章を書くだけでなく大変な読書家で、いろんな分野の本を読んでおられました。そのなかの1冊を前野さんからいただき、今も大切にしております。前野さんは“これは田中先生の名著だよ。この1冊を読めば日本の未来が見えてくる。この本を、私は自分の会社の全社員に配布した”と話しておられました」。…続きは本誌に