”戦うドクター”栗原洋志が開催した会合の中身
2016年04月27日
「戦うドクター」とは何やらリングネームみたいだが、かつて衆院4区の自民公認候補だった栗原洋志が使ったフレーズだ。医師である栗原は震災の被災地である宮城県石巻市で医療活動を続けてきた。あれから5年の節目を迎え、4区内で栗原から〈震災の話を聞く会〉が開催された(敬称略)
返って来た〝戦うドクター
文書の日付は3月20日、表題にはこうあった。〈栗原洋志さんから東日本大震災についての話を聞く会(ご案内)〉。衆院4区内で〈栗原洋志〉と記された文書が配布されるのは、おそらく震災が発生した年以来5年ぶりだろう。
内科医である栗原洋志は、衆院4区選出の元衆院議員(自民)で、農水副大臣を務めた栗原博久の長男だ。平成15年の選挙では父が民主の菊田真紀子に敗れて落選。続く同17年、21年の選挙では長男の洋志が自民公認で出馬したが、いずれも菊田に敗れた。
当時栗原洋志が使っていたポスターやパンフ類を見ると、推薦文などにこうある。〈背も高く見た目は『氷川きよし』のようなハンサムなナイスガイです。彼は医者であり『戦うドクター』として地域の医療や社会保障の実情を…〉
“戦うドクター”とは何やらリングネームっぽいが、コテコテの昭和タイプである父とは好対照の存在だ。その栗原洋志だが、落選後も政治活動を続けていたが、平成23年3月11日に東日本大震災が発生。自身が医療活動の拠点としていた宮城県石巻市が被災し、発災の翌日に4区から同市に急きょ舞い戻った。
震災5周年の節目を迎え、かつての支持者らが栗原洋志の話を聞く会を開催した…というのが案内文書の趣旨だ。洋志の友人が言う。
「震災の発生と同時に洋志さんは選挙区を離れ、そのまま石巻を拠点に医療活動を展開されています。時々は新潟の医療機関などでもお手伝いされていますが。震災という事情もあり、支持者に説明するいとまもなく石巻に戻ったわけです。洋志さんとしても、きちんと支持者に説明する場を持ちたいという意向は常々あったと思います」
だが外野はそうとだけは受け取らない。時期が時期だ。7月には参院選がある。ひょっとすると衆院選とダブルかもしれない。さらに4区では自民党の現職、金子恵美が夫のスキャンダルから窮地に追い込まれている。このタイミングでの会合だ。様々な観測が流れた。
サプライズ発言は…?
〈栗原洋志から震災の話を聞く会〉だが、4月9日と10日の両日、三条と新津(新潟市秋葉区)で開催された。初日は三条で、「会場は市内のホテル…」といった話が流れた。「父親時代の如く、支持者がバスを連ね大挙ホテルにやって来るのか…」、とも思われたが、よく聞けば会場はホテルではなく「ホテルの隣にある割烹」だという。
三条でも屈指の老舗という割烹に集まったのは、かつての支持者らが60人ほど。「昔の支持者らが洋志に国政への出馬を促すのでは…」という事前の観測もあった。ひょっとするとサプライズ発言が飛び出すかもしれない。…続きは本誌にて