ヤクザも暗躍!? 佐渡市補助金不正受給事件
2016年02月26日
佐渡市が詐欺会社にまんまと補助金を騙し取られてしまうというトンデモない事態が発生した。被害額は約2,300万円で、元経営者ら実行犯は逮捕されたが、会社はすでに破産しており返金は絶望的だ。このため甲斐元也市長ら執行部の責任追及を求める市民の声が日増しに高まっている。
公金を使って「民業圧迫」
佐渡市で銀鮭養殖事業を手掛ける石塚林二郎氏が強い口調で話す。
「補助金不正支出を報告する記者会見の席上、甲斐市長はまるで佐渡市は被害者であるかのように話していましたが、私は市が多額の補助金を騙し取られるに至った全責任は甲斐市長本人にあると思います。
今回の不祥事は2011年度に市が銀鮭養殖事業に乗り出したことに端を発するのですが、実のところ私は甲斐市長に直接”銀鮭の養殖はそんなやり方では絶対に失敗するからやめなさい”と進言した経緯があります。
あのとき市長がもっと真剣に私の忠告に耳を傾けていたなら、詐欺会社に補助金を騙し取られるような事態にはならなかったと断言できます」(石塚氏)
丸内定置網組合と加茂水産定置網組合の両組合長を務める石塚氏は、佐渡島内で銀鮭養殖を手掛ける唯一の民間業者だ。
同氏が銀鮭養殖事業を始めたのは今から35年前で、長年の試行錯誤の末にオリジナルブランドの確立に成功。完全無添加の佐渡産天然エサで育てた「佐渡銀鮭」は県内の小売店のほか、全国展開する回転寿司チェーン「がってん寿司」にも納められており、いずれも高い評価を得ている。
5年前に佐渡市が銀鮭養殖事業に乗り出すことを発表した当時、石塚氏は「行政による民業圧迫」の視点からもこれを批判したという。
石塚氏が続ける。
「それはそうですよ、私は長年にわたって研究に研究を重ねてやっとの思いで銀鮭養殖に成功し、同時に販路も開拓してきたのですから。しかも佐渡島内には銀鮭養殖を手掛ける民間業者が私のところだけなのです。
にもかかわらず多額の税金を投じて行政主導で同じ銀鮭養殖を始めるというのですから、これはまさに民業圧迫。だいいち既存業者の私には事前に何ら相談もなかったのですから酷い話です」(同)
市が銀鮭養殖事業に乗り出すことになったきっかけは、甲斐市長と同じ東京農大出身のI氏なる人物が同市長に話を持ちかけたからだとされる。
I氏を知る人物が話す。
「Iは佐渡出身で、それまで三陸で魚のエサの製造・販売をしていたのですが、東日本大震災の発生で商売ができなくなって佐渡に戻ってきたのです。
したがってIは銀鮭養殖についてはまったく経験のないズブの素人で、そんな人物を信用して佐渡市はよくもまぁ事業に乗り出したものだと呆れるばかりですよ」(関係筋)
市主導で銀鮭養殖に大失敗
佐渡市は銀鮭養殖事業を始めるにあたって旧真野町に養殖施設を整備。事業を開始した2011年度当時、5年後に水揚げ500トン、約2億4千万円の売り上げを目指していた。
しかし蓋を開けてみると、初年度の水揚げは目標の約13トンを大きく下回る40トンにとどまり、売り上げは2,560万円しか計上できなかった。
さらに2年目には水揚げが21トンに半減。低迷に次ぐ低迷の末に2013年秋には事業を中断し、事実上の廃業となった。
年2月の記者会見で甲斐市長は銀鮭養殖事業について端的に「失敗した」と述べるとともに、失敗した要因として「冬の風浪や海水温の上昇」などを挙げた。
このように佐渡市主導の銀鮭養殖事業が大失敗したのを尻目に、前出の石塚氏の養殖場では例年どおり順調に銀鮭が成育。さらに販路を拡大していった。
「現在、私のところの漁獲量は年間1万5千~1万6千尾となっています。銀鮭は1尾2キロ以上の目方がないと売れないのですが、佐渡市主導で養殖した銀鮭は2キロに到底およばなかったと聞いています。あと2カ月で出荷だというのに500グラム程度にしか育っていないというのですからね。佐渡市は失敗した原因を爆弾低気圧や海水温の上昇など〝異常気象〟のせいにしていますが、同じ佐渡にある私の養殖場では相応の対策を講じてちゃんと生産できているのですから理由になりませんよ。一言で申し上げれば、ズブの素人がエサをくれていたのでは銀鮭は育たないということです。
私は再三にわたって甲斐市長に”こんなやり方では絶対に失敗する”と忠告し続けたのですが、残念ながら市長は私の言うことにいっさい耳を傾けませんでした。事業が失敗した最大の要因は素人でありながらプロの助言にまったく耳を貸さなかったことに尽きます」(石塚氏)
佐渡市は銀鮭養殖事業開始から3カ年に1,237万円の補助金を支出したにもかかわらず、これをすべてフイにしてしまった格好だ。
一方、佐渡市は銀鮭養殖が失敗するなどとは思ってもいなかったことから、養殖場に続いて水産物加工施設の整備にも着手。…続きは本誌にて