小選挙区制が自民党本来の姿を変えた!
2015年12月28日
自民党は2015年11月29日、東京都内で結党60年を記念する式典を開催した。安倍晋三首相は「これからも結論を出す責任政党であり続ける」と宣言、来年の参院選に向けて一致結束を呼びかけた。本県自民党の両翼を担う長岡支部と柏崎支部の60年の足跡を取材した。
党本部の統率力強まる
自民党は、昭和30年11月15日、自由党と日本民主党の「保守合同」によって結党され、以後の60年間、野党にあった期間は4年ほどしかなく、ほぼ全時代を通して政権与党の座にあった。
党の運営は、長期にわたり執行部の統率力が弱く、ベテラン政治家が「派閥」を形成して、その派閥間での駆け引きで政治が動かされてきた。
これは一つの選挙区に複数候補を立てる必要のある「中選挙区制」が採用されていたためである。同じ選挙区の同僚議員は、同一政党でありながら選挙戦を競い合うライバルという関係に立たされた。
立候補者は党本部の応援を独占することができず、選挙区で個人の後援会を組織した。さらには大物政治家の派閥に加わり、平時はその政局の駒となるのと引き換えに、選挙においては派閥の援助を受けてきた。
そうした仕組みが金権の温床と指摘され、平成に入ると、政治改革の一環として、選挙制度が「小選挙区比例代表並立制」となり、以降は党本部の統率力が強まるという皮肉な結果となっている。
結党翌年の昭和31年3月、当時の自由党、民主党、民主クラブが合併し、自民党長岡支部が結成された。実業高等女学校(現・長岡帝京高校の前身)の講堂を借りて行なわれた結成式は、来賓として、北昤吉氏、渡辺良夫氏、塚田十一郎氏、亘四郎氏、稲葉修氏、田中角栄氏を迎えて盛大に行われ、爾来60年の歴史を刻んできた。
初代支部長は大野市郎、2代支部長は戸田文司、3代支部長は細貝幸也とつづき、平成11年からは、第4代支部長として、星野伊佐夫が受け継ぎ現在に至っている。
田中角栄元総理が絶大の信頼を寄せた本県自民党の牽引者で県議の星野伊佐夫・県連会長( 76)は、結党60年の長岡支部を振り返って次のように話した。
「結党以来、本県関係の国会議員からは田中角栄元総理をはじめ16人の閣僚が誕生し、一定の影響力を誇ってきました。
田中先生は39歳という若さで郵政相として初入閣。蔵相、通産相に加え、党幹事長、政調会長などの要職を歴任され、昭和47年、戦後最年少の54歳で最高権力者の座を射止められ、日中国交正常化などの一大事業を成し遂げられました。
ロッキード事件で刑事被告人になられてからも、最大派閥の田中派を率い、「政界の今太閤」「キングメーカー」と呼ばれました。今年23回忌となる田中先生の政治手腕は今も永田町に語り継がれています」…続きは本誌にて