ソチ五輪銅メダリスト 小野塚彩那選手に直撃インタビュー
2014年06月26日
今年2月、ソチで開催された冬季五輪のフリースタイルスキー女子ハーフパイプで、見事銅メダルを獲得した小野塚彩那(石内丸山スキークラブ)の快挙は、大いに地元新潟を沸かせた。彼女の壮大な挑戦を花開かせた原動力とは何か。本人を直撃、生の声を聞いた。(一部敬称略)
これが快挙と呼ばれる理由
6月4日、三条市のジオワールドビップに、小野塚彩那選手の姿があった。三条市国際交流協会(高波久雄会長)が主催する特別基調講演会に講師として登場したのだ。小野塚がメダル獲得以来、講演するのはこれが初めて。
新潟県を拠点に活動する小野塚が銅メダルを獲得したソチ冬季五輪は、ジャンプの葛西紀明やフィギュアスケートの羽生結弦ら日本勢の躍進が目立ち、大いに国民を沸かせた。
活躍した選手は連日メディアに露出し、注目を浴びた。そんな中で、小野塚に関する情報は比較的地味なものだ。テレビ番組等への出演や派手な凱旋パレードなども行われていない。これに関しては“目立つことが苦手”と公言する彼女の人柄もある。またスキーハーフパイプという競技自体が、ソチで初めて正式種目として採用されたため、ウィンタースポーツとしては未だマイナーに甘んじている点もあろう。
ただし“挑戦に対して得られた結果”という点で言えば、彼女の挙げた成果はとてつもなく大きい。それほどの快挙、奇跡と言ってもいい。言ってみれば、当初は“無謀な挑戦”に近いニュアンスがあったと敢えて言いたい。
ひとつは競技を本格的に始めてたった3年で、銅メダルを獲ってしまったこと。スキージャンプの国体選手である父と、アルペンスキーの選手だった母という家庭に生まれた彼女は、2歳の頃からスキーを履いて育つ。アルペン競技や基礎スキーの技術で国内有数のスキーヤーであったが、同競技が五輪の正式競技に採用されることが決まってから、本格的にトレーニングを始めた。従来のアルペン競技とは、筋肉の質からして違う全く別の競技への挑戦で、3年後の五輪でメダルを狙うという壮大な夢だ。
新しい競技ゆえに、当初はナショナルチームも組織されておらず、強化体制は全て自前で備えねばならなかったという苛酷な状況もある。海外を転戦する遠征費等も全額補助ではなく、足りない分は自らアルバイトをして工面した。滞在中はコンドミニアムで自炊をしながら試合に挑んだ。飛行機等の手配も全て自分で行った。…続きは本誌にて