特集 政令市新潟のお寒い現実 ①
2014年04月24日
田園型政令市が「農村シティー」と呼ばれる所以
「本当に政令市となる要件を備えているのか…?」。 10年以上昔、そうした問いが新潟県議会で発せられていた。同時に「二重行政﹂や﹁都市の財政力」、「新公共交通システム」等々、政令市の諸課題がそこで議論されていた。果たして新潟は「農村シティー」を脱却し、政令市にふさわしい姿に変貌したのだろうか。
「農村シティー」とは小誌のネーミングではない。新潟県議会の本会議で登場したもので、会議録にもちゃんと残っている。今を去ること11年前の平成15年9月定例会のことだった。自民党の斎藤隆景氏が一般質問に立った。そこで「政令市について」の1項目に限定し、当時の平山征夫知事にただした。
この質問が行われた前年11月の選挙で、現在の篠田昭新潟市長が初当選した。同市が周辺市町村を編入したのが平成17年。「田園型政令市の実現」が合併の大義名分だった。そして2年後の同19年4月に政令市に移行した。
斎藤氏はこう指摘した
「新潟市は田園型政令市を目指している。政令市の絶対的な要件の一つに都市的形態及び機能を備えることとあるが、県はどう考えるか。田園と言えば聞こえはいいが、別の言い方をすれば〝農村シティー〟だ」
素直に考えれば、田園と都市は矛盾する言葉だ。周辺の田園が市街化し、市町村の境界が意味をなさなくなるから合併する。その都市がさらに周囲を吸収して大きくなり政令市になる。これが従来のパターンだ。
新潟の場合、旧市町村の中心部がまばらに散在するような格好だ。これを「田園型」だの「多核連携型」とするのは苦しい言い訳のように聞こえる。…続きは本誌にて