• Clip to Evernote

2024年11月24日

長岡藩のお家騒動? 「河井継之助記念館・友の会」の”内紛”

2013年09月26日

「河井継之助記念館」(長岡市)のあり方をめぐって、とある論争が起きている。幕末の風雲児・河井継之助の顕彰をめぐる理事間の対立は"森民夫長岡市長の文化行政の足かせになるのでは"と懸念する声も上がっているが・・・

 

初代会長は故原信一氏

一方で「友の会」は、記念館をサポートすることを主な目的として、平成19年8月に発足。初代会長は原信ナルスホールディングス(以下、原信)元会長の原信一氏だったが、同氏が急逝した後に遺志を受け継いで会長に就任したのが下田邦夫氏。下田氏は、原信一氏の右腕と言われ、長岡市総合計画の策定委員を務めるなど、原信グループの重鎮的存在で、現在、長岡市を拠点とするケーブルテレビ放送制作会社の代表を務めている。

 

「明治維新を機に日本は大きく、その舵を転針させました。そんな激動の時代に、河井継之助は越後長岡を独立させ、理想社会の実現を目指しています。そこには<民は国の本、吏は民の雇>の、彼の書にあらわされるように、地方を切り捨てにしない経済の自立をはかる民主主義思想があったのだと思います。

 

タイトル41年の生涯のなかで、彼が偏見や差別に捉われず、自由な創意のもとに実行しようとした志を知るべく、河井継之助記念館友の会を結成いたします」とは同会の設立趣意。同時に、それは原信創業時に掲げた原信の社是にも盛り込まれている。

 

地元を代表する経済人の遺志を継承する同会だが、会員の中にも〝学術施設なのか、観光施設なのか〟という方向性の違いから、たびたび論争が生まれているという。「一言で言えば、設立直後から考え方に相違があったのです」と話すのは地元郷土史研究家のY氏。…続きは本誌にて

  • Clip to Evernote