東日本大震災の教訓 「徳山日出男」局長 激動の軌跡 その1
2012年05月01日
福島第一原発など、東日本大震災の対応をめぐり、とかく負の側面ばかりが強調される。だが初動の第一段階から決死の覚悟で救援・輸送ルートを切り開いた部隊もあった。陣頭指揮をとったのが、新潟にゆかりある東北地方整備局の徳山日出男局長だった。
3.11 その時
昨年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生したその時、国土交通省東北整備局(仙台市青葉区)の徳山日出男局長は、市内中心部にある庁舎内の局長室にいた。この部屋は窓ガラスの内側に障子戸がしつらえてある。こうした古風な造りからも分かるが、築50年以上を経た庁舎は、地震のタイプによっては崩壊する危険性があった。東北地方整備局は国内に8つある地方整備局の一つで、東北6県を管轄区域としている。国交省の出先機関だけに河川や道路、ダムや砂防、港湾、空港など、広範な社会資本の整備にかかわる行政機関だ。一昨年度のデータだが同整備局の当初予算は約5千億円、管内に41の事務所と97の出張所があり、職員数はおよそ3千人。岡山市出身の徳山局長は99年から01年まで、国交省の出先機関である北陸地方整備局新潟国道事務所(略称"にいこく")の所長を務めた。当時、同局長は道路行政の分野で「ミスターITS」と呼ばれていた。"ITS"(Intelligent TransportSystems)とは、有料道路のETCやカーナビ、あるいはドライバーの安全運転を支援するASVなど、各種情報装置や制御技術を使った高度道路交通システムのこと。にいこく時代、徳山局長は道路だけではなく、ITSを基軸に県内の高度情報化を強力に推進しようとした。新潟の経済界では、同局長のこうした姿勢に対する共鳴者が多かった。新潟を離れ10年以上が経過したが、新潟と同局長とのつながりは継続している。...続きは本誌にて