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2024年11月21日

回顧録 原発誘致に命を賭した 小林治助柏崎市長と盟友田中角榮

2013年05月28日

原発誘致の啓発活動に生涯を捧げた故亀田和久氏(元日本原子力研究所)のご遺族、柏崎市議、東京電力OBらの証言があぶりだす電源三法成立前夜の駆け引き。そこには未来のエネルギー政策に地元を発展を賭ける男の、まさに命を削るような戦いがあった。

 

原発誘致の啓発はじまる

 

昭和38年、官民一体の柏崎刈羽総合開発促進協議会(促進協)が発足。柏崎市議会の研究調査に並行して、市民の原子力発電への関心と理解を高めるため公開の講演会が市内各所で開かれた。

 

「最初の講演会は昭和43年12月20日で、東北電力原子力発電課の幡課長が講師を務められました。亀田は翌44年2月18日、日本原子力研究所の宮永一郎次長と一緒に柏崎市を訪れています。肩書きは環境放射能課の課長代理でした。以降、死去するまでの約30年間、毎週、柏崎市に足を運びました。亡くなる4年前には、市原子力課の顧問という肩書きをいただきました。電源三法が成立したときは、田中角栄総理(当時)の西山町の実家までお礼に駆けつけたそうです。それだけ、兄の原子力発電への思いは強かったようです」と亀田和久氏の実妹(三鷹市在住、79)は、大学ノート88冊に書き残した亀田氏の日記をめくりながら話した。

 

昭和49年に成立した「電源三法」は、電源立地難を背景に、石油危機が促進剤になり、特に柏崎刈羽地域をめぐる当時の人脈―田中角栄総理、小林治助柏崎市長、総合エネルギー調査会原子力部会長(通産大臣の諮問機関)で、理研会長の松根宗一氏が推進の主役を演じたことは本誌5月号に書いた。電源三法とは「電源開発促進法」(税をとる法律)、「電源開発促進対策特別会計法」(税をプールしておく法律)、「発電用施設周辺地域整備法」(税を使う法律)の三法。

 

タイトル

この交付金で、柏崎の道路や学校、上下水道、スポーツ施設、市立図書館などが次々と整備され、どの壁面にも「電源三法交付金」の文字が刻まれた。柏崎で100年続く酒屋に生まれ、若き日は満州に飛んで理想の国づくりに情熱を燃やした小林は、戦後に市政へ転じると、故郷の発展を夢見て田中角栄に賭けた。その賭けは、しかし、生半可なものではなかった。…続きは本誌にて

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