小林一大参院議員の後釜に急浮上する“二世”の名前
2022年08月28日
7月の参院選で県議から鞍替えした自民党の小林一大氏が初当選を果たした。同党は過去2回、参院選で連続して苦杯を喫していた。過去2度あったことだが、3度目はなかった。小林氏の当選で、同氏の選挙区である秋葉区では県議の席が一つ空いてしまった。今のところ「小林の後がま」として名乗りを挙げている者はいない。
秋葉区の二大潮流
新潟市秋葉区は旧新津市と旧小須戸町で構成されている。7月の参院選で初当選した小林一大氏だが、前職は同区選出の自民党県議で、4期15年務めた。その小林参院議員だが、同区朝日にあって「朝日の観音さま」で知られる名刹、普段寺の副住職でもある。
住職は父で、新津市長を務めた小林一三氏。同氏は元県庁マンで、県では都市整備局長などを務めた。在職中からその実力は知られ、請われて1991(平成3)年3月に行われた旧新津市の市長選に出馬。旧社会党系の候補に勝って初当選した。その開票を見守った会場は、床が抜けるのではというほどの大騒ぎだったという。
当時の新津市で続いた「革新市政」を一蹴したことで、支持者らの喜びが爆発したらしい。その後、市長に3回当選。小林市長は革新市政が果たせなかった積年の課題を矢継ぎ早に解決。その手腕に周囲が舌を巻くほどだった。
新津市長として小林一三氏の声望は高まっていった。そして同氏は3期目の途中、2000(平成12)年10月の知事選に出馬。だが当選は果たせなかった。その3年後の衆院選では自民党の比例候補となるも落選。翌年、再度知事選に挑んだが、やはり当選は果たせずに終わった。
息子の一大氏は県議選でトップ当選こそあれ、落選の経験はなし。参院選も難なく初チャレンジで当選してしまった。親の一三氏は国政にチャレンジしたが果たせず。その意味で息子の一大氏は親を越えたことになる。
秋葉区でも旧新津市は信濃川と阿賀野川の二大河川に囲まれた土地。それゆえなのか政治の潮流も一つではない。小林家と並ぶ潮流が栗原博久元衆院議員の親子だろう。父の博久氏は小林一三氏と同様、新潟大学農学部の出身。ともに県庁に就職したところまでは同じコースをたどった。
ところがそこからが違う。栗原氏の場合、国政を目指し衆院議員の秘書になった。同氏が初めて中選挙区時代の旧2区から出馬したのは1979(昭和54)年。以来5回連続して落選。国政を志してから苦節16年、6回目の挑戦で衆院議員になったのは1993(平成5)年のこと。
自民党の栗原氏は2003(平成15)年の衆院選で民主党の菊田真紀子氏に敗れた。その後、長男で医師の栗原洋志氏が4区から自民公認で2回出馬したが、いずれも落選。父が落選した翌年、次男の学氏が旧新津市議に当選。現在も新潟市議を務めている。
旧新津市には信濃川と阿賀野川のほか、二つの川を結ぶ小阿賀野川もある。いわば第三の河川だが、それに対応するかの如く、第三の政治潮流もある。7月の参院選で敗れた立憲民主党の森裕子前参院議員は旧新津市の出身だ。…続きは本誌で