車がスタック! 青春時代には後悔して、 調査現場では思いがけず…?
2021年06月26日
不肖・私が若かりし頃の波打ち際での苦い思い出
今でこそ夜討ち朝駆けで探偵業に日々勤しんでおりますが、こんな私にも人並みに青春時代というものがありました。私が19歳か20歳の頃といえば、まだ昭和の時代の話です。
その当時の新潟はお洒落なカフェやレストランなどはまだまだ少なく、現在よりも垢抜けない街だったように思います。
もっとも仮にお洒落な店があったとしても、当時の私には縁がなく、お金もなくて出入りできなかったに違いありません。(マハラジャがありましたが、もちろんのこと私には無縁の産物でありました)
私のような若者たちの代表的な遊びといえば、比較的お金のかからないドライブと相場が決まっておりました。
そして肝心のドライブの行き先ですが、当時、若者に人気だったソアラやクレスタなど、いかにも女子ウケしそうな車に乗っている男たちは判で押したように海岸線へと車を走らせたのでした。
彼らの目的はいうまでもなくナンパであり、当時の金衛町浜や関屋浜あたりには、週末ともなると2、3人の男たちが同乗するナンパ目的の車が多数出没したものです。彼らはまさしく肉食系男子であり、現代の若い男性たちが少なからず草食系男子と呼ばれるのとは隔世の感があります。
もっとも、かくいう私も当時はナンパとはまったく無縁の地味な青年でありまして、ドライブに一緒に出掛ける相手は男友達ばかりでありました。
そんな若かりし頃の私に、1歳年下のA君という親しい友人がおりました。
A君がめでたく免許の試験に合格したことから、A君が親の車を拝借してドライブに出掛けることになりました。A君の運転による初ドライブだったようにも思います。ホンダのシビックだったか、マツダのファミリアだったか、ハッチバックの小型の赤い車をアテもなく走らせ、結果、海岸線にたどり着きました。
時間は深夜2時を優に過ぎていたように思います。少なくとも真夜中であったのは間違いありません。行き着いた海岸は寺泊か野積だったと記憶しています。
真夜中とあって、ほかには誰もいませんでしたので、私たち二人は砂浜まで車を乗り入れ、好き放題に走り回っていたのです。
今となっては若気の至りだったと反省していますが、十代後半の私たちは文字どおり調子に乗っていたというほかありません。
波打ち際での運転に興じているうちに、ついにはタイヤが砂浜に埋まってしまい、まったく身動きが取れなくなってしまったのです。
いったん車が砂浜でスタックすると、どうにもなりません。周りは見渡す限りの砂浜です。雪道から脱出する以上に困難を極めます。
それでも私たちは手で砂を掘り起こしたり、流木をタイヤに噛ますなどして脱出を試みましたが、タイヤは空回りするばかりです。足掻けば足掻くほど、すべてのタイヤが埋まっていきます。
そしてスタックしてから1、2時間が経過した頃でしょうか、私たちは重大なある異変を察知します。あたりが真っ暗なので気付きませんでしたが、時間経過とともに潮が満ちてきて、私たちの車の足元から、シャシーまでどんどん迫ってきているのです。波打ち際を走っていたのですから仕方がありません。…続きは本誌