岩塚製菓の”縁と技術”が実現させた世界ブランド
2012年05月25日
中国旺旺集団のチャイニーズ・ドリーム
米菓で国内3位の岩塚製菓(長岡市)。その技術と品質には定評がある。今からおよそ30年前、大雪の最中、台湾から来て技術指導を懇願した青年は、今や中国で最大手の食品会社を率いる存在になった。縁も米菓も実に味なものだ。
出会いは豪雪の越後岩塚駅
「2月の初め頃、真冬の、しかも大雪の年でした。忘れもしません。電話がありましてね、信越線の越後岩塚駅まで出迎えに行ったんです。まだ新幹線がなかった頃です」
岩塚製菓の槇春夫社長が今からおよそ30年前を振り返り、こう語った。1981(昭和56)年のことらしい。前年の12月からこの年の3月にかけて、「五六豪雪」と呼ばれる記録的な大雪だった。
2㍍を超す積雪の中、槇社長が出迎えに行ったのは暖かな台湾から来た一行3人。全員が20代の若者で、その一人、蔡さいえんめい衍明氏は当時24歳だった。19歳で父の会社である宜蘭食品工業を継承したが、缶詰や水産加工など、事業は窮地に陥ってた。そこで目をつけたのが米菓。
日本のメーカーでも新潟の岩塚製菓、その『サンフレンド』という商品が気に入った。そして台湾で製造販売したいと考えた。…続きは本誌にて